どこまで査読しよう?

論文の査読が次から次へ来る。さらに、投稿前の論文をチェックしてほしいという依頼も多い。英語も日本語も両方来る。


論文が出るころには、分野内ではもうみなが内容を知っているもので、投稿前チェックには、情報収集の意味合いもある。基本的に論文を読むのは好きで、だからこそ研究者をやっているのだが、最近こうした仕事直接の論文とその参考論文に手一杯で、面白そうな論文をさがして読む余裕が少ないのがさびしい。


学会で情報を収集するのがまず一番だが、そういつも学会があるわけでもない。最近は、電話が便利だと思っている。たとえば、ちょっと違う分野のイギリスのT君と話したときには、http://d.hatena.ne.jp/mahoro_s/20060823 の論文ほかいろいろ情報交換。アンテナに入っているブログもかなり便利だ。
http://dolphin.c.u-tokyo.ac.jp/~t-tsu3/w/wiki.cgi?page=%C6%FC%B5%AD



隣のポスドクが「全部rejectにすれば手間なく早いよ」とアドバイスをくれたが、そうも行かないよなあ・・しかし、世の中にそういう理由のrejectはそれなりに存在しているだろう。現在の科学には論文査読よりよいシステムは考えがたいし、そうである以上科学者が査読に相当の時間を費やすことになる。NatureのEditorが講演に来たときに、優秀なReviewerのリストを作るのは欠かせないが難しい、と言っていた。よい雑誌の査読は、正しい正しくないなどということが問題でなく、生物学の大局の中で意味があるかどうかを判断する必要があり、それができる研究者はそう多くない。


個人的には、できるだけレスキューして論文の質を向上させたいものだと思っている。学生のころにはじめて査読したときは、本当に時間をかけた。その結果AcknowledgementにWe thank anonymous reviewers for helpful discussionsなどと書いてくれてくれたのを見てうれしくなったが、今はさすがにそこまでできない。


投稿前チェックは面白いものが多いが、査読は段落ごとに論旨が一定しないような、読むのが苦痛なのもまわってくる。今回の査読は、前から読まなくてはと思っていた古い論文と関連していたので、これを機会に読んでみた(どの論文とはここでは言えないけど)。こういう場合はいいですね。