学科でワールドカップ観戦
セミナーが終わると、もうワールドカップの開幕戦がはじまる時間である。プロジェクターを利用して、セミナー室で観戦となる。家族を連れてきている人もいて、40人にもなる。
人生のめぐりあわせか、ワールドカップのときは日本国外で、しかも多国籍の人々に囲まれていることが多い。
1994年にはイスラエルでの学生向け実験コース中だった。ワールドカップの何たるかも知らなかったが、20カ国80人と1ヶ月暮らしていれば、聞かずとも聞こえてくる。特に南米の人々の熱狂は、オウンゴールで射殺されたコロンビアの事件とともに記憶に残った。
1998年にはアメリカのコールドスプリングハーバーの実験コース中。アメリカでも若い世代はサッカー愛好者が多いのである。
2002年にはスペインでシロイヌナズナ学会中。学会のセッションよりも、プロジェクターでワールドカップを放映している部屋の方が聴衆が多かったような。日本帰国後の決勝の日には、文部科学省から仕事しなくても許すというような通達があったらしい。
さて2006年。私が着任してまず言われたひとつが、これでF組のブラジル、クロアチア、オーストラリア、日本が揃ったと。