ノースカロライナ出発

Shimiken2006-04-17

3年過ごしたノースカロライナも今日で最後。不思議なもので、あっさりとさっぱりとした気持ちだ。来ようと思えばいつでもすぐに来られるのだ。
 アメリカから日本に移る準備のてんてこまいと比べると、最後の夜も眠る余裕があった。痛い目にあって少しは学習できたのだろう。逆に時間に追われていた方が感慨も深いのかもしれないなどと思ってみる。
泊めてもらっていた友人邸から朝早くに大学に送ってもらう。本当にお世話になった。


 以下は、時系列順に追ってみる。

 大学について、DNAチューブの梱包を始めた。送るDNAとオリゴプライマーはそれぞれ500以上ある。持って行けないが必要になる可能性のあるものは、2ヶ月ほどここ保管してもらう。梱包には先週から技官の人にためておいてもらったドライアイスを利用した。
 携帯電話を解約するために、携帯会社に電話。予想されたとおりに、10分以上待たされたが、その間に図書館に本を返しに行った。そして、アパートオフィスに電話して、契約終了の最後の手続き。イースター休みの昨日に鍵だけは返しておいたのだ。プールも湖も見えるいい部屋だった。
 月曜昼のMolecular Evolution Journal Clubには、なんとか5分だけ顔を出して最後の挨拶に行ってきた。これから行くスイスの建物には、分子系統の学科も入っていて関係者が多く、Say hello to somebodyといった類のメッセージも受けた。ぜひぜひみなに来てセミナーをして欲しいものである。Jeff Thorne, Brian Wiegmann, Jenny Xiangをはじめ、多くの人々と楽しい時間を過ごすことができるセミナーだった。スイスでも何かセミナー企画したいものだ。
 つづいて1時半からのDepartment seminarはもうすぐ独立するSusan Rollmann. 化学シグナルへの応答行動とその自然多型を、ショウジョウバエを使って解明してきた。
 セミナー後には、Trudy Mackayや、Michigan Stateに独立予定のIan Dworkinらとあいさつ。
 Fedexの荷物の引き取りが3時以降というのでラボにいたが、なかなか来ない。
 総説の校正が、先週旅行中に届いていて、もう今日がどうにもならない締め切り。原稿執筆というのは、こちらの都合にかかわらず、あるとき突然に「2日後しめきり」というのがやってくるものだ。仕事だと思って観念はしているが、つらいときは本当につらい。漢字のまちがいまではチェックできなかったが、時間切れでファックス送信。研究費関係の書類も締め切り寸前。
 さらに、ここのコンピューターでないとできないデータ処理をなんとかやってしまう。続きはスイスに行ってからするしかない。
 ちょうどニュージーランドからのラボのお客さんが花粉管の観察に興味があるということで質問を受ける。忙しくても、話さなかったらすれ違ってしまう。
 4時をだいぶ過ぎて、やっと荷物引き取りが来た。突然の嵐でびしょぬれの女性が荷物を引き取りに来た。15箱も持てるのか? 他に回るところがあるからまた来る、といって待たされて、5時前に少しずつ運び始めた。書類は思ったより簡単だった。
 1ヶ月前くらいから、DNAなどラボ荷物をどう送ったものか懸案だった。自分のスタートアップ研究費で払うので、安くしたいが、なくなられたらかなわない。大型の発泡スチロールを集めたりFedexに何度も問い合わせたりしたおかげで、送るのは順調にいった。順調に受け取れるかどうかは明後日に分かる。しょせんDNAは安定なので、室温になってもおそらく大丈夫ではある。3000ドルはしないはず。
 ラボを出発しようとしたら、ボスのMichaelも含め、ラボにいたみなで荷物を運んでくれた。スーツケース2つに手荷物2つ、実験ノートはなくなると本当に困るので、重くても自分で運ぶことにしている。こうして最後の挨拶をする機会ができてよかった。こういうとき、アメリカ人は、握手だけでなく軽く抱き合うものらしい。みなのことは忘れない。

 空港でチケットを渡されると、SSSSの文字が。前回のヨーロッパ行きと同じで、厳重なセキュリティチェックに見事当たったのである。日本人がアメリカからヨーロッパへ行くのは怪しいと見なされるのだ。手足をさわってチェックまでされる。
 飛行機がなかなか飛ばず、Washington D.C.での乗り換えを走る。初日から遅れるのは、いろいろ不都合なので避けたい。自分が入ってゲートが閉じられた。飛行機では来週見る予定のオペラParsifalのDVD。