「日本人だから」と話しかけるのは不自然か?

サッカー帰りにCOOPでバナナを買おうとしたら、日本語が耳に入った。おおっと思わず振り返って、目が合ったのでお話ししてみた。近所に住んでいらっしゃるとのことで、植物園周辺もそこそこ日本人がいるらしい。


「日本人だから」といって話しかけるのは不自然か? この答えは、おそらく町の人口規模にある。ロサンゼルスで日本人だからといって話しかけたら、渋谷で隣の人に突然話しかけるのと同じ程度に変人だ。紀伊國屋書店に入れば日本人しかいないのである。一方で、ノースカロライナのトライアングル地区にいたときは、東洋食品という日本食材店は例外として、まず滅多に買い物で日本人に会うことはなかった。買い物中に日本語で、「ああ、日本からの方ですか」と話になったことがある。町で日本人は1000人程度(周辺含めて3000人)であり、チューリヒも同じ規模である。私の感想としては、日本人コミュニティが有効に機能するのに、これくらいが最適規模だと思う。これより少ないとそもそも出会う可能性がなく、多すぎると、協力よりも排他の日本の村社会になりかねない。