オペラは生きている:トゥーランドット

オペラハウス

プッチーニトゥーランドット鑑賞。フィギュアスケートのNessun dorma (Nessum dorma スペルミスです。ご指摘ありがとうございます)のおかげで、日本でも有名になったときく。

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現代に置き換えた演出が面白い。主人公カラフは、革ジャンで登場。古の中国の王女トゥーランドットの謎かけに対し、手に持ったノートパソコンを駆使して次々正解。3つの質問に答えたあかつきには、頭に来たトゥーランドットがパソコンを取り上げて床に投げつけた。


オペラハウスには日本人も多い。せっかく日本から来たのにこんなアレンジとは、と不満の方に話しかけられ、日本の状況を思い出した。


文化というものは、周縁部ほど保守的になるのだ。日本の「クラシック」音楽の大勢は、おそらく導入された19世紀末から時代が進んでいないのである。アメリカの状況は(一部を除き)さらに保守的で、ラジオのクラシックチャネルが19世紀以前しか流さないのには辟易していた。集団遺伝学の言葉で言えば、古い型の対立遺伝子は、分布の周縁部にえてして見つかるのである。古い日本語は南米移民に残っている。


ヨーロッパでは、オペラは伝統芸能として保存すべき遺物ではない。オペラがこの地で生まれ育ち、現代の人々に今も生きているのだ。日本で生け花を考えてみれば、乾燥に強い花が南半球から入ってくるようになれば生け方も変わるのである。


折しも最近読んだ2冊の本を引用すれば、人のなすこと、分野によらず同じなのだろう。塩野七生著「男たちへ」によれば、イギリス紳士は、伝統を背にしているという自信があるから、スーツで縞模様など大胆に遊べるのだ。赤瀬川原平千利休 無言の前衛」によれば、利休は人と同じことをなぞる傾向に警鐘を鳴らし続け、「私が死ぬと茶は廃れる」とまで言い残した。


フィナーレのカラフとトゥーランドットが結ばれるシーンでは、背景に現代の北京が映し出された。トゥーランドットが中国衣装を脱ぎ捨てると、中は真っ赤なドレス。中国の役人Ping Pang Pongの三人が、シェフとウェイターになって登場。西洋人の体型には、ドレスやタキシードが似合うのである。現代中国を多少とも皮肉りながら大団円である。


19世紀に日本に導入されたものをもう一つあげれば、科学である。過去の研究を学んで「学問を守る」、そこまでいかなくても、欧米で流行の分野を日本に取り入れるといったことは、しばしば耳にすることである。ヨーロッパで研究するとなると、知性の厚い伝統のもとに、学問・芸術が発展したことに思い至らざるを得ない。日本の科学研究がもう一歩上に行くためには、このあたりへの深い自覚が必要ではないかと思う。

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